2018年6月19日火曜日

変なドキュメンタリー?『拾ったものはボクのもの』を見たら、カーダシアン一家を思い出しました。



まるで監督・脚本・主演、剛田武といわんばかりの邦題…

Netflixにて配信されていたドキュメンタリーで、当時日本でも報道されたという珍事の中心人物とその後に焦点を当てています。

その珍事というのが、シャノン・ウィズナントという男性が、オークションで買ったグリルの中に、人間の切断された足を発見したというもの。

普通の神経なら、グリルも足も持ち主にクーリングオフかますところですが、何をトチ狂ったのか、このシャノンという男は、足の入ったグリルを人に見せたり使わせたりすることで、有名になろうとします。

一方、足をうっかりグリルにいれたままオークションに出してしまった持ち主・ジョン・ホッジは困りました。
彼は過去に父親と一緒に乗った飛行機が墜落したことで、左足と父親を同時に失います。
そんな左足を保管しようとしたものの、保管を頼んだ葬儀屋がサボってごみ袋に入ったまま送ってきたとか。いいなあ、アメリカはゆるゆるでも働けて。

ジョンはその後、近所のレストランの冷蔵庫に自分の足を預けてもらい、その次に木の上につるして天日干しにするという、どこぞのサイコも顔負けの処置を施し始めます。

そしてなんやかんやあったうちに(家が抵当?に入ったかなんかで)、ジョンはとりま足をグリルにぶち込んで、そのままグリルを引き払ってしまったのです。(小さい頃聞いた、カマキリの卵をとりま引き出しにしまったまま、時間が経過してしまった話を思い出す…)

世間一般の感覚なら、この一大事はスムーズに足を返して幕引きとなるはずですが、そうならないのがドキュメンタリー。

シャノンは昔から有名人になることが夢らしく、ジョンの足をまるで天からの授かりものだと言わんばかり。


その熱狂と野心っぷりには、流石の奥さんも引き気味。

かたやジョンも被害者かと思えば、ドラッグに溺れ、家族にさえ不幸を撒き散らすという現状の最中起きた、今回の事件だったのです。
またしても家族にあらぬ波風を立て、ジョンは母親にさえ疎まれてしまいます。
誰にも味方してもらえず、一時はホームレス生活になるほど。

そんな中、事態を進展させる出来事が…

(現在は義足生活のジョン)

アメリカの人気番組で、判事がスタジオで事件に判決を下すというものに、シャノンとジョンが出演することになります。
シャノンはこれで足は公にも自分のものだと証明されると意気揚々。自分の金で買ったんだから、足は返す必要ないと一点張り。
しかし判事は「なんで足2本あるのに、もうひとついるの?」と言って、事件は一件落着。シャノンの持つ足は、ジョンのもとに戻ることになりました。

ここからのシャノンの転落振りが、下手なグロ映画よりも目も当てられないほどに。

ジョンの足もなくなり、有名になる手立てがなくなって諦めがついたかと思うと、シャノンはまるで自分の才能があるかのように振る舞いつづけます。
当然、世間なんてそっぽを向くのはあっという間。それでもシャノンは自分がまだ有名人だと信じて疑わない言動を続けます。

(左のずんぐりがシャノン)

極めつけはオークションで、左足ばかりを集めたランプを販売します。
誰も目を向けない中、一人だけそのランプを買う人がいますが、あくまでシャノンはクソどうでもよくて、なんか好きなアーティストの作品に似ていたからとか、そんな理由での購入でした。
しかしシャノンは「サインもつけるよ?」と言いますが、客に「結構です」とあっさり断られます。
次第に現実を突きつけられるシャノンは、最愛の妻にも強く当たるようになっていきます・・・奥さんがインタビューに答えているときも、離れた暗い部屋から嫌味を飛ばしてくる始末…

一方のジョンは、テレビ番組の出演をきっかけに、薬物更正のきっかけを与えられ、少しずつ立ち直り、家族との関係も取り戻していきます。(足も無事骨にしてもらえました

このドキュメンタリーを見ていて真っ先に思ったのは、あのお騒がせセレブ・カーダシアン一家をクソミソに批判したジェレミー・レナーのコメント

「ああ、才能ゼロのバカげた人たちだね。あの人たちは私生活でただ名前を売っているだけだよ。本当にバカな、バカな人間たちだね」(そんなホークアイさんは、下積み時代はお金なさ過ぎてホームレスになったことがあるとか

その昔、脚本家の斉藤ひろし氏は「チャンスは人生で3回訪れる。そのいつ来るか分からないチャンスのために、日ごろから力を蓄えておくべき」みたいなことを言っていたのも思い出しました。
楽して有名になろうなんて思わないほうがいいということを、不覚にもこのドキュメンタリーで再確認させられました。

反面教師を知る上では、いいドキュメンタリーだと思いました。(ちなみに骨になる前の足も少し登場します…おぇ…

2018年6月4日月曜日

『ビューティフル・デイ』感想・ネタバレ!原作との比較も!




先日、今年の初めからずっと楽しみにしていた『You Were Never Really Here』もとい、『ビューティフル・デイ』を見てきました。

監督、主演、音楽がそれぞれ大きな注目を集めた本作の率直な感想と、観客の想像に委ねる演出が多い中、原作がどこまで反映されているのかをまとめてみました。

原作の人物像を生かしつつ、監督が描きたいもの描いた印象。



原作小説は短編となっており、ジョーがニーナ(原作ではリサという名前)を救出しようとするものの、裏で動いていたもうひとつの事態に、ジョーが巻き込まれていくという、概ね映画と一緒です。

キャラクターもビジュアルは全く異なるものの、性格などは殆ど一緒。

例えば、映画では自分の母を殺害した暗殺者と、まさかのデュオするシーンがありますが(仕舞いには手を取り合う)、原作のジョーも無駄な殺しは一切しない。そういう人物になっています。文章で表現できない代わりに、ああいった表現をするあたり、リン・ラムジー独特の演出をビシビシと感じます。

ジョーが過去に追ったトラウマも、映像というかフラッシュバックで見せており、これも概ね原作どおり。

倉庫のような扉(トラックの貨物部分)を開けると、少女の亡骸が重なりあうようになっているシーンは、ジョーのFBI時代に経験した惨い事件の結末のワンシーン。これが原因でジョーの心は壊れ、常に頭の中に自殺願望が付きまとうようになります。

原題のYou Were Never Really Hereは、原作中でジョーが自殺しようとした際に、頭の中で聞こえた一節「お前はもともといなかったんだよ」から来ています。

原作を読めば、事件の全貌は分かるのか?



そのスタイリッシュな演出が効きすぎた結果、ぶっちゃけ事件の全貌が不透明というのが事実。

なぜヴォットは飛び降り自殺したのか、なんでウィリアム知事がヴォットの娘にこだわるのか?なぜジョーはこの一連の事件に巻き込まれたのか・・・などなど。
演出が冴え渡りすぎて、一瞬事件のことなんてどうでもよくなっていたのですが(たぶん監督もそこまでこだわってない気がする)、自分なりにまとめてみました。

・匿名メールは、ヴォットの自作自演


そもそもヴォットは、ジョーに匿名のメールから、行方不明のニーなの居場所が分かったといいますが、おそらくは自作自演。

ニーナは実の父に売られていました。

ウィリアム知事はニーナを貰う代わりに、ヴォット議員がいい思いをできるよう計らうといった取引をしたのです。(その事実を知ったヴォット妻は自殺)

最初にニーナがいた娼館と、ウィリアム知事の別荘では同じ音楽が掛かっていたので、あの娼館も、知事の所有物なのかもしれません。
あのミニチュアの家も、ひょっとしたら娼館の形をしたものだったり…?

ジョーと会った際、ヴォットの顔には殴られたような傷があります。
おそらく自分の行った取引に罪悪感を感じ、このことを公表しようとしたらウィリアム知事あるいはその息がかかった者に脅されてぶん殴られたというところでしょう。
そこで残忍と評判の高いジョーに、てめえのケツを吹いてもらおうと依頼をしたわけです。なんとまあ情けない話…

・原作のヴォットはどこまでも救いの無いクズ


ところがこれが原作になると、ヴォットは最後の最後まで性悪のクソ野郎になっています。

原作の場合、ヴォットが自分の選挙に勝つために娘を売る件は同じですが、相手はウィリアムではなく、政界に精通したギャング。
ウィリアム知事はそのことを知っており、匿名のメールを送るというもの。そして飛び降り自殺してしまうのもウィリアム知事…

ヴォットは妻も娘も捨てて、雲隠れし、新しい人生を始めて子供も作っちゃうぞっと意気込んだその瞬間、ジョーにハンマーでぶん殴られて死にます
娘の行方は最後までわかりませんが、ヴォットを殺したのは、娘をさらった相手に対して、「次はお前の番だ」というメッセージのため。
結構ラストはごりごりのスリラーで幕を下ろします。
映画のような開放感溢れるエンドはないです。

で、映画化は面白かったのか?



原作は結構ディティールまでしっかり描かれており、それはそれで面白いのですが、そういう文章を映像化すると、こうなるのかあ!という感動があります。
ちゃんと「この部分は小説のここ」というのがなんとなく分かるんです。限りなく説明要素を省いて、スリラーには無い演出も入っているのに、凄く新鮮な感覚でした。

じゃあ、原作読んでなかったらつまんないんじゃ…という感想もありそうですが、逆に自由に解釈したりして見たほうが、より本作の魅力を感じられるかもしれません。自分はぶっちゃけ順番を間違えた気がします…汗

さっきも言ったとおり、リン・ラムジーの手腕、ホアキン・フェニックスの演技に見とれていると、事件の全貌とか死ぬほどどうでもよくなります

音楽ももちろんよかったです。個人的には『グッド・タイム』みたいに、劇場で使用したものをそのまま別バージョンでサントラにして欲しいくらい。(というか、劇場で使用していない曲が、サントラにも結構合った気がする

小説も120ページくらい、映画は90分と、この多忙な日本社会には打ってつけの尺となっていますので、まだ未見・未読の人は是非。




2018年4月17日火曜日

『ラブレス』感想・ネタバレ こいつは驚くほどにクソばかり(褒め言葉)



ラブレスと聞くと、私なんかはブンブンサテライツの『TO THE LOVELESS』なんかを真っ先に思い出すのですが、今回はジワジワと期待していたアンドレイ・ズギャビンツェフ監督最新作のほうの『ラブレス』について書きます。



あらすじ


一流企業で働くボリスと美容院を経営するイニヤの夫婦。離婚協議中の2人にはすでにそれぞれ別々のパートナーがおり、新たな生活のため一刻も早く縁を切りたいと考えていた。2人には12歳の息子アレクセイがいたが、どちらも新生活に息子を必要としておらず、ある日激しい罵り合いの中で息子を押し付け合ってしまう。その翌朝、学校に行ったはずの息子がそのまま行方不明になり、彼らは必死でその行方を捜すが……。(映画.comより)



ネタバレなし感想



いはやは清々しいほど、どいつもこいつも自己中心的で笑ってしまいそうになりました。がはは。

それはメインキャラのジェーニャやボリスだけでなく、捜査に対してやる気0の刑事や、もっと細かいことを指摘すれば、レストランにて恋人と来ているのに、平気でナンパしてきた男に、名前と電話番号を伝える女性まで・・・揃いも揃っててめえが一番可愛いんでちゅと言わんばかりに、自己愛?が過ぎる連中がオールキャスト

そんな映画、普通に撮ったらただひたすらに不快なだけになるのですが、上手にロシア映画ならではの、途方もない冷たさや美しさが映り、かつ繊細なピアノの旋律で、俄然視聴に耐えうる内容となっています。それ目当てで見てもお腹いっぱいになりそう。

とにかく今作の主要キャラは、是が非でも自分が幸せにならなきゃ嫌なの!といわんばかりの振る舞い。子供か。

息子の押し付けあいだけでなく、息子がいなくなった事で、彼らが真っ先に心配するのは自分の保身。
普通の親なら仕事なんでほったらかして、泥まみれになりながら子供を捜すのに、ジェーニャは恋人の家で寝坊。ボリスは捜索に参加するも、息子の名前を一度たりとも呼びかけません。
もう頭の中には幸せいっぱい、お花畑が広がっているのに、「息子の失踪」という事態が、土足で踏みにじられているような状態でしょうか。本当にクズですねえ。

そんなクズ&クズの中でも、良識ある人々が出てくるのが救いのひとつ。
実在のボランティア集団を元にした、行方不明者捜索隊の人々や、失踪したアレクセイの友達、自分とは何の関係もないのに、一緒に捜索に協力するジェーニャの恋人。もっと細かいことを言うと、アレクセイの手がかりを集めるための張り紙に、まじまじと目を留めてくれる男性。

彼らのような人々が多ければ、もっと世の中が良くなるのに・・・と思わずにはいられません・・・


以下ネタバレ










ジェーニャのラストの言葉



アレクセイと思われる遺体を確認するシーンで、ジェーニャは泣き叫びながら「あの子は私が引き取るつもりだったのよ!」と激しく叫びます。
一見、感動的なセリフのように見えますが、ここにいたるまでの言動があまりにもひどかったので、私は普通に悲劇のヒロインぶっているだけにしか見えませんでした。

もう息子は見つからないと、この時点で諦めていたのかもしれません。
息子さえ戻ってこれば、世間体を気にせずに済むはずが、こうなったらもうめっちゃ被害者面して同情を買うしかねえ!と言わんばかりに迫真の演技!遺体安置室は瞬く間にプリマドンナの舞台と化しました。そしてとばっちりを喰らって流血沙汰のボリス・・・涙

そういう意味ではボリスは哀しいほどに正直な男です。
結局その場で泣き崩れるボリスですが、新しい生活でも、子供をまるでゴミのごとく邪険に扱う始末。反省の余地なし・・・

一方にジェーニャも恋人の家で暮らしていますが、会話はなくニュースも見ずにスマホをいじいじ。
ランニングマシーンに(なぜか寒いのにバルコニーに設置)乗って、自分磨きに勤しむのですが、その顔はどこか虚しげ。
彼女は自分が自己愛に傾倒しすぎていると気付き始めているのかもしれません・・・


結局アレクセイはどうなったの?


衝撃のラストと謳われた今作ですが、こういうテイストの映画では、めっぽうありがちな結末でした。

アレクセイは姿を消してから、一度も画面上に現れることさえなく、物語は終わります。
これは監督のこだわった演出のひとつで、こうすることで必然的に観客がアレクセイのことを思い出そうとする効果を狙ったそうです。

今作はあくまで自分の幸せだけしか考えない人間が、息子の失踪を気にどうなっていくのかという、過程を楽しむドラマ映画です。



夫婦の不仲さをめちゃくちゃ端的に表したドライブシーン。



ドライブというと楽しそうですが、離婚申請中の夫婦が乗り合わせてるんだからさあ大変。

息子が行方不明になっているというのに、ラジオでゴリゴリのロックチューンを流すクソ無神経な夫にも問題がありますが、禁煙と言っているのに意地でもタバコを吸おうとする妻。おまけにラジオがうるさいと文句を言うと、夫はむしろ窓を開けて邪魔をし、音楽のボリュームを上げるという幼稚さよ・・・ストレスMAXになった妻は「ああああああ!」と叫ぶ、これまた幼稚なリアクション。

よくあの密室だけで夫婦の不仲さをあんなふうに描いたなあと、たまげてしまいました。
何気にこの映画の中で好きなシーンのひとつです


まとめ


結局アレクセイの行方は分からぬまま、物語は終わりますが、ラストシーンでは、冒頭でアレクセイが引っ掛けたテープが、まだひらひらと枝に引っかかっているショットで終わります。
夫婦はこれからも自分しか愛せない不幸な人生だけど、アレクセイはどこかで悠々自適に過ごしているという暗示と勝手に受け止めることにしました。ガンバレよ!

それにしてもこういう内容って、どっちかというと日本よりな気もしていたのですが、(真っ先に思いついたのが、周りの迷惑も顧みずインスタ栄えを狙う人とか・・いやなんか違うな・・・)やっぱり世界共通なんですねえ・・・どこの国にもいるんだなあ・・・

どうでもいいこと


私が記憶している限り、確か前作『裁かれるは善人のみ』でもあったと思うのですが、ロシアでは冷蔵庫の上にテレビ置くのが流行っているんですか?凄く見ずらそう・・・

2018年4月9日月曜日

映画館ではこうやって作品を宣伝する!館内装飾やチラシはどうしてる?

先日公開した映写業務のあれこれ。大変多くの方に読まれ、細々とやっている(記事投稿して30アクセス程度)このブログで、なんと1日100アクセスを超えました。ごいすー!

この波に乗らねばといわんばかりに、当初映写業務より先に担当に振り分けられていた宣伝業務のことも書いてみようと思います。
ぶっちゃけ、映写業務よりインパクト低めです・・・

チラシやポスターを発注しよう!

とにもかくにも、まずはこれが無いと何もできません。
チラシには2種類あり、ティザービジュアルと、本ビジュアルがあります。
後に出たほうが基本的に本ビジュアルです。

ティザービジュアルは、まだ公に作品情報があまり明らかになっていない状態から出すことが多いので、キャストが写っていなかったりとシンプルなものが多いです。
中には本ビジュアルしか出さない作品や、これでもかというくらい4パターンある。と言ったものも。

最近の作品では、『ハッピーエンド』だと、スマホの画面デザインはティザー(これよく考えたら海外版のビジュアル・・・)、一家が写っているのが本ビジュです。(ただこのティザー、よく見るとチラシのサイズ自体スマホ画格にあわせるという、少し特殊な仕様になっています)

いくつもタイプを出す場合は、お客さんが持って帰りたくなるような工夫をしています。
『二重生活(ロウ・イエ監督じゃないほう)』は、キャスト別で4タイプありましたが、圧倒的管田くんのハケっぷりよ。

若さ弾ける女性たちが、ぽっと頬を桃色に染めながら、「管田くんのチラシってまだ残ってますか・・・?」と訪ねてきました。
私「もうリリー・フランキーのしか残ってないっすね・・・すんません」
皆、一様に肩を落として劇場を後にしていきました。
彼女らとリリー・フランキーがいたたまれません・・・

最近では『エヴォリューション』がゴリゴリのチラシ戦法を行っており、ティザー5種類くらい、前売りを買うとさらに数種類&海外版ポスター、来場者プレゼントでチラシってどんだけチラシばら撒くのコレ。

オシャな映画ほど、チラシも凝ったものが多いです大体グザヴィエ・ドランさんはオシャの代名詞みたいな感じなので、新作が出ると毎度発注が面倒くさかったです大変です。
正方形とかチラシラックに入りにくいんですよ・・・

肝心の発注方法は、ファックスで必要分発注すると届く仕組みです
チラシがなくなれば追加発注をかけますが、時々数を見誤って、倉庫の肥やしにすることもありました。ごめんな『王様のためのホログラム』・・・


プレスを見て情報を収集しよう!

プレスとは、公開前の作品を紹介するパンフレットのようなものです。
時々DVDの特典として、サイズを変えて付いて来る事もあります。

簡易版パンフなので、市販されているパンフレットは、プレスに更なるレビューやコラムが載ったものと思ってもらって差し支えないです。(なんならプレスと同じものをパンフレットとして販売する配給も大きな声で言えませんが、たぶん『グッド・タイ○』はそのケース

このプレスは劇場内であれば自由に使えるので、こいつを切って拡大して、場内に掲載していました。

因みに私は文章で紹介するのは好きですが、装飾に関してはセンスが壊滅的だったため、だんだん苦痛になっていきました・・・
かつ私の前任者が、作品の装飾コンテストでグランプリを受賞した経歴を持つ、ずば抜けたセンスの持ち主過ぎゆえ、心がめきめきに折れたというのも有りますが・・・仕事って大変です・・・私は逃げるように映写とブログ更新に傾倒していくのでありました。

ブログを更新しよう!

当時、ブログ担当も前任者が居たのですが、彼もまた逃げるように映写業務にのめりこみ、全く更新がされていない状態でした。

基本毎日更新を命ぜられた私は、作品紹介をはじめ、インフォメーション、イベントレポート、物販、売店の紹介など、ありとあらゆる事を書きました。

以前、元アイドルで映画好きの方を招いてトークショーをしたことがありました。
その方に記事をツイートしてもらうよう執筆したら、見事狙いどおりになってニヤニヤしながらその方のツイッターを見ていたのは、いい思い出です。ぐへへ・・・

ただ、別のトークショーに招いた方の名前を間違えたまま投稿したときは、それはそれはくそみそに怒られました。どれだけ怒られれば気がすむのか。

イベントレポートは、私も現場でじかに聴きたいのですが、大体映写業務と重なって、映写室から会場の様子を眺めてました。
しかも向こうの音は一切聞こえないので、「ああ、なんか盛り上がってるなあ・・・」程度のことしか把握できないというお粗末な状態・・・

ちなみに今まで一番いいねを押してもらえた記事は「年末年始営業時間のお知らせ」でした。


マスコミ試写に参加しよう!

映写業務の試写とは別に、配給や宣伝会社が別で試写室を貸しきって作品の上映をしてくれる場合もあります。

先輩に見たい作品の試写をとられても、私にはまだマスコミ試写という奥の手があったのです!

上手くシフトがまわせれば、出勤中に劇場を抜け出し、見に行くこともできました。
マスコミ試写は事前に名簿に名前を記入し、担当者からプレスとアンケート用紙を受け取ります。

作品を見終わったら、感想を書いて提出するという感じです。
クソ真面目な私は、裏面まで感想を書いていたのですが、顔を上げると、なんかどっかの教授っぽい人と2人きりになってました。何事もほどほどに・・・


館内装飾を施そう!


でました。私には苦い思い出しかないこちらの業務内容。
好きな人はそれこそ時間を忘れて没頭できそうな内容です
しかし先に書いたように、私は文章を書くことこそ全く苦にはならないのですが、いかんせん装飾類の仕事は本当にセンスのかけらも無い人間なのです。

そもそも面接のときにお互いの主張がすれ違ってしまった結果、私は向こう2年ほどはこの仕事に精神を磨耗していくのです・・・

劇場装飾はスピードが命。
公開日に余裕を持って装飾を施さなければ、宣伝としての意味が無いのです。
しかし、手先が生まれたての赤ちゃん並に不器用な私はとにかくとろい、そして雑。
幾度と無いダメだしを喰らっては、ダメだしを喰らう毎日でした。
掲載物が傾いている。装飾が地味。場面写真の順番が悪い。印刷物は文字を大きく拡大する。掲載物が傾いているetc

見かねた社員さんが、他の後輩に指示を出して、苦手な部分はやってもらうようにしたらとアドバイスをくれましたが、何を隠そう私は業務上の縦社会が装飾業務の次に苦手でした。
やるなら一人で、誰にも関与されないほうがストレスフリー。
それを自らの意思で打ち破ろうとするなんて、苦行以外の何物でもありません。

結果これも上手くいかないまま、私は劇場を退職する運びになるのでした(実際の理由は訳あって土日休みが欲しかったからなのですが・・・

因みに私は退職後もそこへ映画を見に行くのですが、現在はそれはそれは見事な装飾が施されています・・・


まとめ


劇場と行っても、いろんな仕事があります。向き不向きもあるので、面接のときはきちんと自分に向いている部門があるか確認しましょう。
でないと私のように、寝ても覚めても説教される日がくるかもしれません。。。(大げさ)

でもやっぱり、映画が好きだと、映画館で働くのは楽しいし、なんだか得した気分にもなるので、学生バイトとか是非オススメしたいです。
学生なんだから楽しく働けりゃいんですよ~。

2018年4月3日火曜日

映画館スタッフが行う映写業務とは?

先日twitterでもつぶやいたのですが、映画ファンの人って、劇場の裏側とか気になるのかなあ~と、最近ふと思うようになりました。

かくいう私も2年ほどスクリーンが3つしかない単館とシネコンの間のような映画館で、館内装飾や上映する作品の宣伝、映写業務などをフリーターで行っていました。

そういやシネコンから私が勤めていた映画館に勤めることになった人が、「シネコンなら社員がやるような業務を、ここではバイトがやっているんですね・・・」と若干引き気味でした。
それだけ私が働いた映画館は特殊なケースかもしれませんが、興味をもっていただければ幸いです(なんなら私はシネコンの業務内容を知りたい・・・

今回は皆大好き、映写業務について書いてみようと思います。

  • 作品は基本佐川で届きました
今ではほぼ全ての作品がDCPというデータでやり取りされており、配給会社から公開がある程度近づくと、HDDに作品のデータが入った状態で、佐川さんで届けられます。

そのHDDも、配給の規模に比例して、専用の付属カートリッジのようなものをつけないと、映写機にデータを転送できないものから、
ヨドバシカメラとかに売ってそうな、非常にシンプルなポータブル式のHDDで送られてくることもあります。


  • どうやって映写機で作品を再生するのか

映写機への転送方法は、まるでPCに取り込むがごとく、USBケーブルに繋いで、映写機側から操作し転送するだけ。
正直ちょっとPC触れる人なら誰でもデータのやり取りができるくらい簡単です。
ただ配給によっては後日送られてくるKDMというデータを同時に入れないと、再生ができないセキュリティが施されている場合があります。

これはセキュリティ上とても有効ですが、後ほど説明する試写業務にギリ支障をきたす場合があります。


  • データに問題がないかチェック
試写とは別に、取り急ぎ画像や字幕に乱れがないか、流し読みのような感じでサクッとチェックします。
意外と字幕系は問題が起きることがあり、後ほど字幕のデータだけ配給から送られてくるようなこともあります。

私はチャプター飛ばしのような感覚でチェックをするのですが、気になる作品の場合、一発でネタバレに直撃する、大変危険を伴う作業です。
私はこれで『消えた声が、その名を呼ぶ』の結末を知ってしまいました。無念なり。


  • 予告編成をする。
このあたりからシネコンとは違いが出てくる気がします。
いかんせん、私が勤めた映画館はバイトが予告を編成し、それを社員がチェックするという自由度がわりと高いものでした。

上映する作品の作風、客層、アカデミー受賞作なら、同じくアカデミーがらみの作品etc
時々アニメ作品を上映するときは、他にアニメの上映待機作がないこともあって、苦肉の策で『ピエロがお前を嘲笑う』の予告とか入れていました・・・

この作業は映画好きほど腕がなるものですが、自分の感覚に懲りすぎて、客層を無視すると怒られます・・・

エクセルで出力された表を印刷し、そこに手書きで予告を編成していきました。
その表を元に、映写機で予告を並べていきます。


  • 予告はPCでダウンロードするときも
予告編に関しては、USBメモリで封筒には行って送られてきたり、予告編ダウンロードサイトが業者用に存在してるため、そこからダウンロードすることも有ります。

ちなみに予告の上映方法は、映写機でスケジュールなるものを作成し、設定したタイムテーブルにあわせて随時上映されるように編集します。

このスケジュールを少しでもミスすると、全ての上映時間に影響を及ぼしたり、他の機械の動作に支障をきたしたりと、怒られる程度ではすまない、始末書レベルの処置が待っています。
映写は責任重大です。そんなことバイトにやらせるなよと言えばそれまでですが、単館映画はこうした切り詰めた企業努力から成り立っているのかもしれません・・・(自画自賛)
私はこのスケジュール設定をミスり、普段滅多に怒らない穏やかな先輩に、しこたま怒られました。無念なり。

ちなみに予告編はあの短い時間でいくつかのパートで別れており、基本的に(「アカデミー受賞!のような文言」)「予告」「公開日」「前売り情報」「公開劇場」などに別れています。
劇場に応じて使用したりしなかったりするパートもあります。
「公開劇場」に関しては東京の映画館の名前しか入っていないケースもあるので、その場合はこの部分だけ使わず、劇場で用意している「当劇場にて公開」のようなパートに差し替えます。
この作業が地味な上に、データの表記名ではパッと見分からないことがあるので、確認が面倒だったり・・・


  • 皆大好き試写業務
このために映写業務になったと行っても過言ではない、試写業務。
本来の目的は映画を試写し、上映時の注意点(銃声とか爆発音が以上に大きいので、音量設定は注意するとか)をスタッフ間で共有することを目的としたり、私は宣伝業務も行っていたので、映画を見たことでかける紹介文なんかもあります。ブログにあげたりもしてました。

しかし本音を言えば、大きいスクリーンを貸しきって、一人ふんぞり返ってみる映画が最高という点です。
これができれば安い自給(820円スタート)も気になりません。

試写のタイミングは閉館後か開館前。
私は遅番の日に映画館に泊まって、試写をすることもありました。
一人ぼっちなので、泊り込みは大変な恐怖ゆえ、事務所の明かり全付けで寝てました。
一番の試写の思い出は、下戸なのにお酒のドキュメンタリーを見て寝落ちしているところを、先の穏やかな先輩に目撃されたことです。


因みに映写担当は4,5人いるので、見たい作品は先輩から順に決めていきます。
当時ペーペーだった私は、コーヒーのドキュメンタリーを見たり、後期高齢者がヒップホップに挑戦するドキュメンタリーを見ていました。

見たい作品は大体先輩が見ることが多いので、先輩の試写のコメントを読んでは歯がゆい思いをしていました。

(シネコンはもっと厳重に試写管理を行うそうですが、うちは結構ラフでした。


  • いよいよ上映初日
作品がいよいよ上映されると、初日は映写は穏やかではいられません。
ちゃんと映像に問題はなかったか、スケジュールやタイムテーブルは正確に組まれたか、予告編成に間違いはなかったか。
2度、3度のチェックをしても、やはり完全には安心できません。

さらにうちの映画館は、スクリーンの幕を手動で設定しないといけないスクリーンがあり、これを怠ると、ビスタの映像なのに、幕がシネスコ状態になってしまい、上下部分に幕が現れ、そこに映像が投射されてしまうという悲劇が起こります。

シネコンは結構ヴィスタの幕のまま、シネスコ流したりしているので、楽でいいなあと羨ましい気持ちでいっぱいでした。


  • 上映が終わると・・・
上映が終わるというか、基本試写や映像チェックが終わると、DCPは速やかに別の劇場へ転送します。

基本1つから複数のDCPを上映スケジュールに合わせて劇場から劇場へと、いわば又貸し状態でやり取りされます。
そのまま配給に返すパターンも。

転送すると、その際使用した配送業者の伝票を、配給にファックスで送ってひとまず終了です。

データはずっと映写機に入れていても、容量が足りなくなってしまうので、すぐに消したいところですが、場合によって公開延長したり、リバイバルしたりするので、安易に消すことは常に躊躇われます・・・(ただ、配給に事情を説明すれば、普通に再度DCPを送ってくれます・・・)



映写業務は基本、この繰り返しです。
馴れてしまえば作業自体は楽ですが、責任重大であることは変わりないです。
シネコンなんて作品数も多いから、もっと大変なのかな・・・

新年度、私のように大学出たけど職が無ぇ!なんて人は少しでも何かしら参考になれば・・・

2018年3月26日月曜日

【やけくそ】『聖なる鹿殺し』が難しすぎたので、クソシュールなシーンをランキング形式でまとめました。


(最近twitterでは自撮りがドイヒーと話題に)

なぜかヨルゴス・ランティモスの作品に出ると性格・ビジュアルともに全く冴えない主人公を演じさせられるコリン・ファレルさん。

前作『ロブスター』でも、期間内にパートナーを見つけないといけないのに、開始早々「あ、こいつ絶対動物になるわ」と思わせるあたりは流石でした。

今作では医者で良い家に住んで、綺麗な奥さんも子供もいて珍しく順風満々なのですが、そこはランティモス作品。医者でその髭はどうなんだとツッコミたくてたまらない上に、ストーリーが進むにつれて、立派なのは髭だけだったとわかっていくブラックユーモア感は最高です。

肝心のストーリーはというと全く分からなくエウリピデス?とか何とか神話をベースにとか言われましても・・・という感じ。

映画館を出た後も考えれば考えるほど面倒くさくなってしまったので、ここは一度作中で最高に笑えた(実際はそんな空気ではないので主人公同様仏頂面でしたが)シーンをランキングでまとめました。(以下ネタバレあり)




  • 9位【陰毛を捜すスティーヴン】
歩けず食事も摂れなくなったのに、回復の見込みがまったくない現状に苛立つスティーヴンが、なんかよくわかんないたとえ話をしながら、子供を治すにはなんかの動物(覚えてなさ過ぎ・・・)と処女の陰毛がいるんだよっ!!!!と何故かこのシーンだけマジギレします。

処女の陰毛探したければ、娘の部屋にでも行けばいいのに、何故かキッチンの引き出しや棚を、中身を床にぶちまけながら探す髭面はなかなかにシュールです。

この時のニコール・キッドマン演じるアナの表情は、正直バリー・コーガンより怖かったです。


  • 8位【子供のどちらを生贄にするかを、学校の担任に委ねるスティーヴン】
聖なる鹿殺しとは、ある男が森でうっかり聖なる鹿を狩ってしまい、その代償として自分の娘を生贄にささげるという神話が元になっていると耳にしました(でも原題は邦題と違うなど色々聴きますが、いかんせん私は英語力中1未満なのでその辺はスル~)が、スティーヴンには子供がふたり。

どっちを生贄に捧げるか、よりどりみどりゆえに自分では決めかねるので、彼が向かった先は子供達が通う学校。

学校の先生に息子と娘はどっちが優秀ですか。先生的に。と聞くスティーヴン。
当然先生は質問の意図が分からず困り顔。まさか自分ではなく子供を生贄にしといて、何かあったら先生が言ったんすよ!と責任逃れをするつもりだったのでしょうか。先生も良い迷惑。


  • 7位【マーティンのスパゲティ捕食シーン】
(因みに来場者プレゼントは、このシーンをプリントしたステッカーだったそうです。めっちゃ欲しい・・・)

世界中の衣料用洗剤会社が歓喜しそうなシーン。

なぜか真っ白なTシャツを着たまま、ミートスパをきったねぇ食い方をします。
ここでアナはマーティンに、子供達を歩けるように説得しに来たのに、マーティンはクチャラーよろしく、ばっちい手つきでもぐもぐとミートスパを食べる始末。
結構早い段階でTシャツにシミをつけているので、マーティンの独白で重要なワードが隠れてそうなのに、またシミがつくのではないかと気になって、全く話が耳に入ってきません。
気付いたときには「少なくとも、正義には近づいているはずだ」と何故かジャスティスの話になっていました。

  • 4位【ロシアンルーレットで明らかに一旦ボブの前で止まった時点で、もうロシアンルーレットじゃなくない?】
本編参照。

  • 4位【ニコール・キッドマンフルヌードで誘惑するも、旦那に全くあえてにされない】
本編参照。

  • 4位【キム処女をマーティンに捧げようとするも、マーティン何もせず帰宅する。】
本編参照。


  • 3位【マーティンにわき毛を見せろとせがまれるスティーヴン】



ボブがマーティンに、パパはマーティンの3倍はわき毛ボーボーだよと、盛りに盛って吹聴したせいで、マーティンは仮病を使って病院にいき、さらにわき毛を見せろとスティーヴンにせがみます。

スティーヴンももう大人なので、やっぱりちょっと恥ずかしいのか、もじもじしながらわき毛を見せるも「3倍はないわ」と一蹴される始末。
そのときのスティーヴンのなんともいえない切なげな表情(実際は無表情ですが元が元だけに)がやばいです。


  • 2位【マーティンに腕時計をプレゼントするも、すぐに革ベルトに変えられるスティーヴン】
本編冒頭で、スティーヴンがマーティンに腕時計をプレゼントするも、マーティンは「金属じゃなくて革のベルトがいいから変えていい?」と無神経にも程があることを言い出します。

スティーヴンも大人なので、止めはしまえせんが「でも金属のほうがいいよマジで」と、どうしても革にして欲しくない気持ちが前のめりになっています。

結局腕時計はわずか数日(下手すれば翌日?)で革ベルトに変えられるという、スティーヴン一家に次ぐ悲劇的展開に。

そのときのスティーヴンのなんともいえない切なげな表情(実際は無表情ですが元が元だけに)がやばいです。

因みに時計は同僚が買ったお店で買ったのですが、その同僚も革ベルトというアウェイっぷり。しかも本編では水中のシーンなんて全くないのに、何故か水深何メートルまで防水かを気にするスティーヴン・・・


  • 1位【息子にとんでもないことをカミングアウトするスティーヴン】


当初ボブが歩けなくなったのは仮病だと信じたかったスティーヴンは、何とかして息子に仮病だと言って欲しい為に、秘密を言い合うゲームをします。
より凄い秘密を言ったら勝ちというルールで、スティーヴンは
「俺はお前と同じ年のころ初めてオ○ニーを覚えた。そのとき出てきた精○の量が少ないと思った俺は、酔って寝ていた親父のものをしごいてみた。すると大量に○子が出てきて、俺は逃げ出した。さあお前の秘密は?」
「特にないよ」
「」
「マジで」
「」

私だったらこんな親父とか絶対ぐれる。


  • おまけ


キムのエリー・ゴールディング 『Burn』がそんなに上手くない。

ーーーーーーーーーー

こんなに笑えるシーンがあるのに、いかんせん劇場は一貫して静まり返っていたので辛かったです・・・
でももう一回見たいなあ。スティーヴンのオナニー武勇伝のインパクト強すぎて、ほかの事殆ど忘れたし。







またおまけ

偉そうなことを言った私の歌唱力参考動画

2018年3月20日火曜日

アカデミー受賞作『イカロス』を見たら予想の斜め上でヤバめな展開が待っていました。



本年度アカデミー賞ドキュメンタリー部門受賞作『イカロス』

ドキュメンタリー部門ではよくNetflixオリジナル作品がノミネートされることがあり、今作以外にも『ストロング・アイランド』という、実兄を殺された監督によりその事件の詳細と人種差別問題が描かれるという骨太な作品もノミネートされています。

肝心の『イカロス』がどんな内容かというと・・・



監督でアマチュアロードレーサーのブライアンが、かねてから憧れていたアマチュアロードレースに参加したけど、上位の奴絶対ドーピングしてるから、俺もしたってバレへんバレへん。みたいな動機からスタートする今作。

要するにドーピング検査をいかに簡単に欺けるかを、監督が文字通り体を張って証明するという、若干マクドナルドのスーパーサイズを3食毎日食ったらどうなるかを実証した『スーパーサイズミー』のドーピング版的ドキュメンタリー。


(この数十秒後、ゲロリンちょします。あとネタバレすると、夜にあそこの元気がなくなるそうなので、まだまだお盛んな方は要注意。)




ブライアンはサポートして、ロシア反ドーピング機関所長のグリゴリー・ロドチェンコフという、大変ひょうきんなおっさんに協力を仰いで、ドーピングプログラムをはじめ、管理も徹底して行うことに。

このあたりはまるでランス・アームストロングの再現でも見ているかのような生々しいリアリティを見せ付けられます。

ランス・アームストロングさんといえば、20代でガンを患うも不屈の精神で克服し、ロードレースに復帰するというそれだけでも凄い人なのに、勝つために手段を選ばなさ過ぎたゆえに、まるで息をするかのごとくドーピングするようになってしまった選手。

私は自転車なんて通勤手段程度にしか考えていないのですが、興味のある人はスティーヴン・フリアーズ監督の『疑惑のチャンピオン』を見ると、より一層、ブライアンがなぜここまでしてアンチドーピングを欺けるのか試したいのかがよく分かります。


(全くの余談ですが、ランスさんは結構自転車業界?で、今なお忌み嫌われる存在らしく、
おかげさまでこの映画のプロモーションに協力してくれる企業を探すのに、かなり苦労したんだとか・・・)

結論からすると、作中のブライアンやグリゴリーのへらへらした感じからすると、アンチドーピングを欺くなんて目をつぶってでもできそうな勢いだった。のですが・・・




この撮影の真っ只中、2014年ソチオリンピックにて、ロシアによる国家主導のでドーピングプログラムが実施されたことが、ドイツの公共放送によって報じられます。

そしてそのプログラムに関わった人物として、グリゴリーの名が挙がってしまったことで、事態は誰も想像していなかった展開へ転がっていきます。

いかんせんこのグリゴリーは、ロシア選手がパフォーマンスを向上させる薬物を検出することなく使用するのを助けるために、独自のシステムをロシアに持っていたのです。もう誰がどう見てもクロ。
「一緒にアンチドーピング騙そうねぇ~^^」といったゆるゆるな雰囲気はもうどこにもありません。

(おっさん2人が、どのおしっこをサンプルとして提出するか相談している様子。ここにミヒャエル・ハネケ監督がいたら大はしゃぎしそう


グリゴリーにもはや選択の余地はなく、ロシアに居続ければ間違いなく逮捕されるので、彼は形勢逆転を狙い、自らの地位や生活をなげうって、この事件の黒幕がスポーツ大臣のムトコや、果てはプーチン大統領容認の下行っていたと暴露することに。



グリゴリーは暗殺を逃れるために、ブライアンの助け(アマチュア自転車選手です)を借り、当時スノーデンの弁護をしたという敏腕弁護士を雇い、アメリカに亡命。
グリゴリーの暴露を聞いたWADA(世界アンチ・ドーピング機構)は改めて調査を実施します。
そしてロシア政府が、組織的なドーピングに関与していることを突きつけるのです。

ちなみにロシアがドーピングによってどれほどの成果を得たかを詳しく記載したサイトがコチラ(ヤバ過ぎ笑えない)

いかんせん、グリゴリーの身に危険がリアルガチで迫っていると痛感させられるのは、同じく組織ぐるみのドーピングに関与したとされる彼の友人の一人が、不審な死を遂げたと聞いたとき。

もはやあの時のきゃっきゃしていたグリゴリーの姿はどこにもありません。

彼は結局アメリカに亡命し、証人保護下のもと、ロシアに残してきた家族や愛犬に会えぬまま今も生活しているそうです。

肝心の彼の暴露も、政府の圧力でねじ伏せられ、映画公開時は、18年の平昌五輪にもロシアは普通に参加する予定だと記されていました。(でも実際は国を代表してではなく、個人としての出場しか認められないんでしたっけ?)





  • そもそも何がそんなに怖いのか
今作で一番玉ひゅんするのが、そんな暗殺なんか起こるわけないでしょと思ってたらガチで2人くらいドーピング報道後不審死を遂げているという事実。

もうこのあたりから、グリゴリーはまるで別人格になったかのようにシリアスになっていきます。

映画を見終わったときも感じたのですが、「てか何でこんなことになったんだっけ・・・」と一回思考が停止し、やがて「あ、アンチドーピング騙せるかやってみた的な内容だった!」と思い出したときも背筋がゾッとしました。まるで映画みたい(?)な展開です。

アンチドーピング余裕で騙せると思っていたら、まさかプーチン大統領に狙われる羽目になるとは・・・
さながら子供が火遊びしていたら、知らない人の家に火が移っちゃった・・・くらい監督とグリゴリーの表情が死んでいくのでした。



(既に堅気とは思えないオーラ)
  • ムトコめっちゃ怖い
組織ドーピングに関与したとされるムトコスポーツ大臣。
自分の命がヤバす・・・と悟ったグリゴリーは、ブライアンにどれだけ俺が今ばいやーなのかをムトコ大臣の名を出して、細かく説明してくれます。

「いいか、あの大臣は都合の悪い奴を消すことなんて、書類を提出するのと同じくらい簡単にやってのけるんだ。「そういやあのグレゴリーとか言う奴は、結構年配だろうし、疲れているだろう?明日の記事で彼の死亡記事を用意しておくといい」てな具合にな・・・」

スポーツ大臣めっちゃ怖っ。
リアルに『イル・ディーヴォ 魔王と呼ばれた男』を想像してしまいました・・・
あんなノリノリな曲にあわせて暗殺されたらたまりませんが・・・

  • 結論
軽い気持ちで火遊びは危険・・・



2018年3月14日水曜日

Netflix『アナイアレイション 全滅領域』を原作と比較してみる



3月12日からNetflixで配信された『アナイアレイション 全滅領域』
もともとは劇場公開が予定されていたものの、監督とプロデューサーの結末に対する意見がかみ合わず、パラマウント映画なのに劇場公開が中国と北米だけになったという異色?作・・・

個人的にはアレックス・ガーランド監督の前作『エクス・マキナ』が凄い辺鄙なところのシネコンでしか上映してくれなかったので、そんな風にまたなるくらいなら、その他の国は配信対応というのはある意味神対応だと思っています・・・

基本我慢が大の苦手な私は、劇場公開が決まる(決まってはないか・・・)前から原作小説を張り切って三部作全部読んだのですが、映画の脚本が上がった時はまだ1部の『全滅領域』しか出版されていなかったそうで、映画はこれで完結だそうです。私の努力とは。

そんなわけでやはり原作とはいろいろ設定とか結末が異なっているので、簡単にまとめてみました。

以下映画、原作共にネタバレありです。
















因みに原作では浮気してません。

  • 原作では、ラストがはっきりしている。
映画ではレナの夫・ケインの一言「きみはレナか?」という発言を気に、観客は一気にレナがオリジナルなのか、目の前にいるケインのようにコピーなのか分からなくなり、そのまま映画は終わります。

一方の原作では、レナ(正確には原作は固有名詞がなく、生物学者とだけ表記されます)は<エリアX>に入ってわりと早い段階で、体内に「煌き」なるもの(おそらく映画で言う「シマー」は個々から来ている?)を取り込み、調査の過程で自分の体に異変が起きていくのを実感します。

最終的にレナは、映画だと玉虫色のエイリアンと対峙しますが、原作では彼女もケイン同様コピーが生まれ、オリジナルのほうはというと、映画で言うクマのようなクリーチャーとなって、続編で<エリアX>に戻ったコピー・レナと対峙します。
<エリアX>内では、オリジナルは異形の存在に変化させられ、コピーが生まれます。


(「たす・・・けて・・・」)
  • クマ=シェパード
ということは、あのクマのクリーチャーが、なぜ襲ったシェパードの声で「たすけて」と鳴いたのかというと、レナが見つけた遺体はシェパードのクローンという風に考えることもできます。

実際あんな凶暴なクリーチャーに襲われたらもっとズタズタになってもおかしくないのに、見つかったシェパードは鼻から青汁みたいなものを出しているだけ・・・

しかし今作では、原作ほどオリジナルが異形の存在になることを示唆していないので、
突然ふらふらとどっか行ったラデクが言うプリズム現象?によって、彼女の意識がクマに宿った可能性もあります。(でもそうなると、過去の調査隊が残した、腸?の動く隊員の説明がつかなくなる気も・・・)

なお原作では人の目をしたイルカが登場するなど、ちょっとあからさまな奴もちらほら登場します。


(まだ色々情報が明らかになる前のメインビジュアル。よく見たらサブキャラ・・・)
  • 原作だと、むしろヴェントレスの過去のほうが明らかになる。
しかしそれは第3部の「世界受容」から。映画版で明らかにするのは不可能です。
そんなヴェントレスは、映画にも登場する灯台。その灯台主と幼い頃接していたという過去があります。
映画に登場する灯台は、昔怪しい連中が弄繰りまわして、灯台主が異形のものに変形したかのような結末を迎えます。
そんな過去を持っていたゆえ、ヴェントレスは「サザーン・リーチ」の局長として就任したのです。

因みに原作では(たぶん)コピーのヴェントレスが、<エリアX>の境界を広げながら「サザーン・リーチ」にやってくるという、はた迷惑なことをしでかします。(つまり映画のようにレナが帰還したからと行って、<エリアX>は消滅しない)


(「たす・・・けて・・・」)
  • <エリアX>の発生原因
原作も映画も灯台を元に発生している点は同じですが、映画は隕石の落下。原作は続編で、灯台主の目を盗んで怪しい連中が、光源に何か細工をしているのが明らかになります。
その連中もどこかエイリアンっぽい描写があるのですが、彼らがどうやって地球に来たかは不明です・・・

あとは設定とか、細かい点をあげるとキリがないのですが、レナの元軍人は映画オリジナルだし、原作ではレナが調査隊に化せられた日誌をつけており、その日誌=小説「全滅領域」と言った体だったり、その日誌が一体過去にどれだけの調査隊が派遣されたんだ・・・と言いたくなるようなほど大量に<エリアX>内で見つかったり・・・etc

(ださい)

個人的には終わり方が『エクス・マキナ』っぽくて好きでした。
もしレナがクローン(エイリアン)だとしたら、つがいができたわけですから、そりゃ<エリアX>なんてもういらないよね・・・と考えるとゾッとします。

こう見終わってからジワジワとくる感じもたまりません・・・ぐわーっと絶望感が押し寄せてくるワケではなく、ひたひたと漬け置きされる感じと言いますか・・・

正直映画と原作は大まかなストーリー以外かなり別物のようになっているので、ぶっちゃけ第1部だけ読んでもいいような気がしてきました・・・第2部とかヴェントレスの代わりに来た冴えない局長の話だし・・・




しかしこの映画を見た後に、ナタリー・ポートマンが出演しているディオールの香水のCM見ると一段とシュール。私も証明して欲しい(いろんな意味で)。

2018年3月9日金曜日

『プッシャー』3部作をゴリゴリの犯罪スリラーと誤解している人を正しい認識に導くブログ

(まるで聞いていないゴズりん)

ニコラス・ウィンディング・レフン監督といえば、『ドライヴ』で最高にクールな演出とストーリー(脚本は別の人が担当していますが・・・)で一気にファンを獲得し、次作『オンリー・ゴッド』では自分で脚本を担当した結果とんでもない賛否両論の渦に巻き込まれ、さらに次の『ネオン・デーモン』では「レフンよ、どこへ行く」と言わしめるまたも賛否の結果だけならず、エルたんファンらを地獄の底へ突き落とすような展開が話題を呼びました。

しかし監督の『ドライヴ』以降の過去作も注目されるようになり、『オンリー・ゴッド』に北欧テイストを盛り込んだような『ヴァルハラ・ライジング』や、トム・ハーディーが全裸で喧嘩するだけ(褒め言葉)の『ブロンソン』など、ヴァイオレンスな印象が目立つ作品が勢ぞろいしています。

(3作見て、すごくいいキャッチコピーだと思いました)

そんな中でも、借金を抱えた監督を復活に導いた3部作『プッシャー』は意外にもレフン監督作の中でもとっつきやすく、笑える場面さえ散見しているので、まだ監督をよく知らないor知りたい人にはまず見て欲しいとも言える3部作なのです。

取引に失敗してボスから預かった麻薬を紛失してしまった麻薬密売人(プッシャー)のフランクが、警察とボスの双方から追われる身となり、絶体絶命のなかで苦闘する姿を描いたアクションサスペンス。(映画.comより)

(全くRespectできないワンシーン)

こうやって見ると大層ハードな作品のように見えますが、実際の主人公が間抜けの極みみたいな奴で、相棒であるフランク(マッツ・ミケルセン)も地方都市のDQNばりに態度はでかいがおつむは弱いという徹底っぷり。(おまけに後頭部に“Respect“と書かれているタトゥーが凄くじわじわきます)

密売人とはいえ、仕事意識をしっかり持っていればこんなことにはならんだろうと言いたくなるほど、何をするにもテキトーなので、あれよあれよと窮地にはまっていく様はもはやシュールです。

『プッシャー』には全編通して、そんなシュールな場面がいくつかあり、ついついじわってしまうのも魅力のひとつ。

(今では想像もつかないようなお馬鹿な役でした・・・)

マッツ・ミケルセンが相棒に回し蹴りを披露したら、足首ひねって取引に支障をきたしたり、
マッツ・ミケルセンが部屋をバットで荒らそうと、手始めにブラウン管テレビの画面をぶっ壊そうとするも、何故か傷ひとつ付ける事ができなかったり、
マッツ、ミケルセンが久々の娑婆で娼婦2人も呼んだのに、全然勃たなかったり、
マッツ・ミケルセンが集団強盗に参加したのに、定員オーバーで一人バスに乗って帰されたりと、あげたらキリがありません。

そんなクソ野郎ばかり(?)なのにどこか憎めない(というか哀れ)な展開が冴え渡っています。

なんなら1,2で麻薬王として君臨していたミロという人物も、3で主人公になると不運と悲壮感にまみれてきます。

個人的には3が一番面白かったので、(『ドライヴ』でも登場したカナヅチを使ったシーンも登場します) 是非全部見て欲しいところです。

(ミロさん)

ミロさんは、よく分からない国の言葉で罵声を浴びせているときが一番笑えます。本人は必死ですが・・・(1のラストでもその様子が伺えます)
あと娘に仕事のことで口出しされる時と、犯行現場の証拠隠滅している時の表情が殆ど一緒なのもじわります。じわりの極みみたいな人です。


(画像は回し蹴りに失敗する少し前のミケルセンさん)

『プッシャー』は極端な例え方をすると、リチャード・リンクレーター監督の『エブリバディ・ウォンツ・サム』に、犯罪スリラーを表面だけコーティングしたみたいな作品です。お下劣な会話とか、殆ど大学生と一緒だし・・・

ほんと、軽い気持ちで見てもらったほうが面白いと思います。3以外はグロ要素もあんまりないし。。。

しかし3はミロが料理好きにも拘らず、食事しながらの視聴は絶対避けたほうがいいです・・・あんなに食事シーンがおいしく見えなくなることも稀・・・

2018年3月7日水曜日

猫の目にも涙・・・



我が家の2匹猫のうち、キジ白のほうは、若干お腹が弱いです。
しかし食欲は旺盛でよく食べるのに対し、ぶちのほうは食に対してあまり貪欲ではないくせに、おなかは丈夫。

おなかの弱い猫は、餌をいいとこのやつに変えてあげると、う○ちも快弁になるとよく耳にするので、グレインフリーという餌に変えました。

猫は穀物の消化ができないのですが、どうしても安価な餌は穀物でかさ増しすることで、その値段で販売することができるというものです。

グレインフリーは穀物を使ってない分、当然お値段は上がります・・・

うちは色々調べた結果、1.5kgで2000円ほどの餌に変えました。(前はピュリナワンという、アマゾンで買ったら同じ量が半額くらいで買えます・・・)

早速、変ったえさを与えてみたら・・・

なんと、キジ白のほうが、涙を浮かべながらご飯を食べているではないですか・・・

「おらあ、こんなうめえ飯初めてだぁ~」といわんばかりの号泣っぷり。本当に大粒の涙が落ちるほどだったのです。

これは奴隷飼い主冥利につきるなあ、と私も若干涙しそうになりましたが、以前猫が結膜炎になったとき、猫の涙は何か病気の兆しかもしれないと聞きたことを思い出しました。

早速ネットで「猫 餌 涙」で検索。すると・・・


  1. 餌を咀嚼する時だけ鼻涙管が詰まりやすくなり、涙が出ることがある。食事の時だけ涙を流す場合は鼻涙管の詰まりの可能性も。
  2. 餌の細かいゴミが目に入ったという可能性
  3. 歯の影響も有り、特に上あごの根元が悪くなると、目にも影響。餌を咀嚼する時に目に近い歯の根元が刺激されるので涙が出る。
こんな感じの原因があるそうです。

2だったら、餌を変える以前から涙が出ていそうですし、3なんてぶっちゃけ1歳未満の猫で起こることなのかとも思います。

となると考えられる可能性は1。
実際、ぶちと比べると気持ち鼻声かな?と思うことがあると、同棲相手も気にしていました。そして鼻声=風邪なのでは・・・?(しかし餌で号泣する以外はいたって普通)

越してきて初めて、近所の病院に行くことになったキジ白・・・
「はい、わかりましたあ~」といわんばかりの無気力加減で、同棲相手に連れられていきました(強風の中、4.5kgの猫を運んでいった相手には頭が下がります・・・こういう時10~19時勤務は面倒・・・)

そして不安な気持ちので受けた診察の結果は、


















「・・・しいて言えば個性ですね」


















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お医者さんいわく、猫の個体差によって、餌を食べることによって副交感神経?が刺激され、涙が出る猫もいるとのこと。

実際病気の類は見つからず、目薬を処方してもいいけど、自分だったら猫のストレスも考慮して、目薬は点さないです。とまでおっしゃっていたそうです。(因みに病院の評価はとても高い)

結局診察代(1080円)だけ払って、1人と1匹は強風の中帰宅してきました・・・



あと全然関係ないのですが、またしても病院に連れて行かれているのに、お医者さんに懐くキジ白・・・
キャリーから出す前から、「このコ、人懐っこいですね・・・」と驚かれる始末でした。どんだけだよ。

そんなキジ白は、最近私の私物を強奪することに悦を感じているようです・・・
ダウンジャケット(3万)、リュック(2万)、ダイニング用の椅子に敷いた座布団(750円)、枕(不明)などなど・・・


食事中に少し席を立った結果

私が椅子に座って飯を食べているのに、わずかに開いた隙間に強引に入ってきてはzzz・・・。布団に入ると、ずかずかと枕に乗ってくるので、常に毛が顔面に当たっています。なんならこの状態で入念な毛づくろいがスタートし、間接の硬い部分がゴリゴリ当たります。あと臭いの、口の中

そのくせ普段べったりなのは同棲相手という・・・




















これぞ奴隷冥利か・・・😍😍😍😍😍😍😍😍😍😍😍

2018年3月5日月曜日

ミヒャエル・ハネケ新作『ハッピーエンド』を見て、ハッピーになっちゃおう!



そんな風になるはずもなく・・・

新作『ハッピーエンド』で、ハネケ監督は「とにかく不快な作品を作った」とカンヌでコメントしていたそうです。

そして新作はタイトル詐欺なのか否かに関しては本当に解釈が分かれる終わり方でした。(以下ネタバレ)




























































長期的に見てハッピーエンドかも?




私は、長い目で見ればハッピーエンドなのかもしれないと考えました。

というのも、おじいちゃんのジョルジュは死にたがりにも拘らず、結局ラストで海に車椅子ごと沈もうとするところを、ジョルジュの子供であるトマとアンヌに見つかってしまいます。

こうやって見ると、ジョルジュにとってはバッドエンドなのは確かです。
しかし、今回はエヴがその様子を動画に収めていることから、もう家族は父親が死にたがっているということに目を背けることができなくなります。

中盤、夜中に屋敷を抜けだし、自動車事故で死のうとしたにも拘らず、家族はその結果に目を瞑って、誕生日パーティーなんて開いてます。

これを気に、家族がジョルジュの本心に目を向けてくれるのでは。という期待をこめての解釈というか、希望的観測というか・・・



増村保造監督の『痴人の愛』で、明らかにパッと見すごく異常なのに、主人公(大楠道代に馬乗りされてる)が「やっと本当の夫婦になれた・・・!」と感極まっているシーンがあるのですが、ある意味『ハッピーエンド』はあのラストを迎えて「やっと本当の家族になれた・・・!」と言える日が来るのではないかと思える、前向きなラストだと考えることにしました。


監督の十八番演出は炸裂したか?




そんなことより、前回のブログで書いた、ハネケ監督十八番の演出「平手打ち」と「失禁」ですが、『ハッピーエンド』ではなんと両方とも使われていないのです!

むしろ平手打ちどころか、ピエールが何の理由か観客には明らかにならないまま、男にフルボッコされたり、
ピエールがトチ狂って、母アンヌの婚約パーティーに移民の男性を数人連れてきて、怒ったアンヌに指をへし折られたりと、それくらいですね。
ピエールだけ終始可哀想な目に合う演出多数でした・・・

もう一方の失禁演出ですが、こちらは奥さんに「お前こんだけ役者にションベン漏らさせてんだぞ」と明確な数字まで出され、それを機に演出を控えたそうです。

しかし、その溢れる尿への熱意を抑えることができなかったのか、エヴの父、トマが不倫関係にある女性との小便をかける変態プレイの内容を字で説明してきます。
もう是が非でもぶっかけたいっ!!!といわんばかりの演出過多にこちらの膀胱も破裂寸前。

なんなら、ジョルジュが男性に物騒な依頼をしたときも「怯えて小便は漏らさんでくれよ」と男性に言ったとき、図らずしも私は男性の股間をまじまじと見てしまいました・・・失禁演出の復活をわずかながらでも期待した私は、まんまとハネケ監督の映画術にはめられたのです・・・流石です・・・パルムドール2冠はダデじゃねぇ。



結論



たぶん監督は、ピエールがあんまり好きじゃない。でもおしっこは好き。

2018年2月27日火曜日

ミヒャエル・ハネケ監督の『ハッピーエンド』公開されるのが待ち遠しい人向けの記事




ミヒャエル・ハネケさんといえば、あの最高に胸糞悪い『ファニー・ゲーム』に始まり、見るものの不快指数を爆アゲしてくることに余念のないおじいちゃんです。

かく言う私も、暗い大学生時代に、狂ったようにハネケ過去作を見ており、その当時は『ベニーズ・ビデオ』を初めとする初期作が、ツタヤでもレンタルできるようになっていた頃でもあり、不快指数びんびんでした。(現在はどうなんでしょう・・・)

前作『愛、アムール』で予告を見た後、本編を見て「やっぱ、そうなるよね!うわああああ」と言いながら劇場を飛び出していった、あの日からもう5年も経つのですね・・・業が深い。

先日、図書館で、『ミヒャエル・ハネケの映画術―彼自身によるハネケ 』というインタビュー本を借りてきました。もう中古しか手に入らない様子。

テレビ映画デビューの作品から、『愛、アムール』までのことや、ハネケ監督のバック・グラウンドにも触れつつ、監督の考えというか哲学的なお話、現場での指導etcと、クソニッチな書籍であるにも関わらず、非常に充実の内容となっています。まだ3分の1しか読めてないけど・・・

その中でもとりわけ気になったのは、監督の生涯ベスト10。以下まとめると・・・


★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
1位 バルタザールどこへ行く
2位 湖上のランスロ
3位 鏡
4位 ソドムの市(パゾリーニ)
5位 皆殺しの天使
6位 黄金狂時代
7位 サイコ
8位 こわれゆく女
9位 ドイツ零年
10位 太陽はひとりぼっち
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                                                          ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
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私は古い映画に明るくないのですが、『ソドムの市』が入ってるあたりモロじゃん・・・というのだけは分かりました。
『ソドムの市』も未見なので、偉そうなこといえませんが、いろいろと物騒な作品というのは知っています・・・(詳しくはwiki)



ちなみにハネケ監督の作品には共通かつ多用される演出があります。

それは「平手打ち」

これまでの作品で通算20回もぺちぺちやってるそうです。
有名どころで言えば、『ファニー・ゲームU.S.A』でティム・ロスがマイケル・ピットをひっぱたいています。(その後ゴルフクラブでぶん殴り返されるとも知らず・・・)

それを聞かされたハネケ監督は大はしゃぎ。
しかも、同じ様なことをハネケ監督の奥さんもやっており、監督の作品でおしっこを漏らした登場人物が何人いるかを算出して報告してきたそうです・・・
しかもそれを聞かされた監督は、以降その演出をやめてしまったそうなので、相当の登場人物が小便垂れ流し状態だったというわけです。

きっとその演出をする理由から、監督が作品を通して描きたいことの一貫性が見えてくるかもしれませんが、なんかあまりよい気分にはならない気がするのでしません!

そんな監督最新作『ハッピーエンド』では平手打ちの演出はあるのか?失禁演出は復活するのか、乞うご期待です!


でも孫娘のエヴちゃんが失禁なんてした日には、また違うファンが沸きそうなので、やっぱり奥さんの教訓を受けてやめて欲しいなあとも思いました。













































TシャツCOOLすぎ。